【焦げかけた草原】 |
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戦に負け、私は捕縛された。 この監獄の暮らしはまだ慣れていない、 慣れてなどたまるものか。 ここは地獄そのものだった。 母国が獣人に滅ぼされたという噂を聞いたときは鼻で笑った。 そんな嘘を信じる兵士はいない。 兵器を持たず白兵戦だけに頼る獣人になど、 負けるはずがなかった。 負けるはずのない戦だった。 負けるはずのない、 戦争だったはずだ。 けれど結果は見ての通りだ。 獣人はその獣の特性をいかし王を急襲したそうだ。 独裁国家だった私の王国、 カリスマに溢れていた偉大だった王。 主を失った国が滅ぶのはそう時間はかからなかったのだろう。 私の国は、 完全に滅びたのだ。 私の部隊も滅び、 捕縛された。 抵抗したときに剥がされた爪が外気に触れ、 鋭い痛みが襲う。 尋問と言う名の拷問の日々、 私は獣人達の玩具にされているのだ。 私だけではない、 部下や上司、仲間達はみな嬲られていた。 獣が捕らえた獲物を最後に嬲り殺すように、 私達は弄ばれているのだ。 さすがに女子供老人、非戦闘員が捕まることはなかったが、 戦争に加担した男はみな投獄されている。 死んでいったものも少なくない。 逃げ出そうにも、 ――片足はもうなかった。 看守がまるで談笑するかのように私に話しかけてくる。 虎の顔を持つ看守。 その顔を何度憎らしいと思ったことか。 私を蔑む言葉の数々。 無論、私は無視をした。 獣人が私を睨む。 狼の顔を持つ彼らに睨まれると、 さすがに背筋に冷たいモノが走る。 知能も人と同等な彼らだが、本能は獣そのものだ。 明日お前のショーが行われる、と、 何度も何度も楽しそうに言う看守。 前にショーと称されて行われた残酷な時間を思い出し、 身体が激しく震えた。 情けなかったが、 あの時の恐怖はいまでも私を苛んでいる。 目を閉じればあの時を思い出し、 悪夢を見るほどだった。 看守はまるで楽しい昔話でもするかのように、 あの時の私の様子を語り始めた。 異形な魔物に犯され、 腹の形まで変わってしまうほどに大きな性器で突かれ、 魔物の射精により風船のように大きく膨らんだ腹。 一匹ニ匹ではない。 魔物に輪姦され射精され続け、 その精子は腹を遡り胃を満たし、喉から白い液を零し続けた私。 生きているのが不思議なほどだったが、 私は死なないように薬を打たれていたらしい。 その様子は勝者である獣人たちへの見世物として、 金を取って行われたのだ。 いまもなお私を言葉で嬲る看守。 「やめろ!」 震える身体を抑え、 私は吠えた。 無くなった足先まで震えているようだった。 「……やめろ、それ以上言うな」 震える身体を抑える私の情けない姿を愉しんでいるのだろう。 昨日今日と部下が二人殺された。 嬲り殺された。 私たちに残された道は死しかない。 一目だけでもいい。 国に残してきた妻にあいたかった。 妻は元気にしているだろうか。 彼女は非戦闘員だから生きているだろう、 そう信じている。 生きてさえいれば、 いつか巡り合う時があるかもしれない。 そのわずかな希望。 それだけが私を生に執着させる。 自害は絶対にしない、 希望は捨ててはならない。 いつまでも私を言葉で嬲り続ける看守。 私は耳を塞いで耐えた。 しばらく私を罵ったあと、 それには飽きたのか看守は私の餌を用意しはじめたようだ。 家畜の食べ残した枯れた草。 私は生きるために餌を食べなくてはならない。 生きて、 生き抜いて。 いつかここを抜け出し、 妻の下へ帰るために。 けれどその粗末な餌さえも私はすぐには食べさせてもらえない。 私はいつものように檻の端まで顔を出した。 金属がすれる音が、静かな監獄に響き渡る。 しばらくして、 淫らな粘膜の擦れる音が辺りを支配した。 口淫を覚えさせられたのは初日。 獣人の陰茎は人間の倍ほどもあり、 口に咥えることは苦労した。 頭を抑えられ引き寄せられると、 酸素を求め自然と動く鼻に獣の独特な匂いを感じてしまう。 私が餌を食べれるのは、 この行為が終わった後しかなかった。 生きるために、 私は必死だった。 必死になるしかなかった。 口に含んだ獣の陰茎が膨れ上がり、 私の中で弾けた。 看守は笑い、 私は泣いた。 目が覚めるといつも私は落胆する。 カビ臭い異臭を放つ、 一筋の明かりすらも通さない牢獄。 暴虐の痕を赤く刻む床。 ここが監獄だと、 改めて確認してしまうからだ。 もしかしたらいままでの事が全て夢であったらと、 そう無駄な考えが浮かぶことさえある。 朝は妻がいつも起こしてくれていた。 寝起きの悪い私を叱り、 その愛らしい頬を膨らませ。 それも大分昔のことに感じてしまう。 この牢獄では時間の概念が欠けるのだ。 私は決して泣くまいと、 涙を堪えた。 その様子を看守に蔑まれ、 私は唇を噛んだ。 今日の看守は上機嫌だった。 今日はこの国の王、獣人王が遠征から帰還するらしい。 また一つ、 国を滅ぼしたそうだ。 城塞都市として長く歴史を保っていた街をも制圧した、と。 看守はまるで自分の手柄の様に語る。 この国は我々の想像した以上に強大な力をもっていたのだろう。 看守は酒に溺れ、油断している。 これはチャンスかもしれない。 国中が凱旋に浮かれ、 宴を開いている今ならば、この国から逃れられる機会もあるだろう。 私は看守を呼んだ。 看守は泥酔していた。 いつものように私の頭を押さえつけ、 淫行に耽ろうとしている看守。 私はそのまま看守の陰茎を噛み千切った。 絶叫は監獄には響かなかった。 私が看守の首を絞め上げ、 声を奪ったのだ。 獣の喉の皮膚は固く、 爪が剥がされた私の指にも激痛が走る。 看守の意識が失ってからしばらく、 私は絞め続けた。 完全に意識を失ったのを確認し、 私は看守の身体を探る。 看守の呼吸は止まっていた。 殺してしまったのだ。 もはや後戻りはできない。 その身体から鍵を奪い、 私は牢を開けた。 片足を奪われた私は満足に歩くことも出来ない。 看守が携えていた槍を奪い、 それを足の代わりにし監獄を抜け出そうとする。 だが、 その前に隣の牢に捕まっているはずの部下を助け出すことにした。 少し要領が悪かったが、良く言うことを聞き、 上官からの覚えもよかった部下。 初めて私が育てた最後の部下。 この敗戦が初戦だった哀れな部下。 投獄されたときたしかに隣にいれられていたのだ。 出来ることなら共に逃げたかった。 希望と不安と共に、 私は足を引きずり、 「――ッ……」 隣の牢を覗き、 目を背けた。 ――もはや、 人の形をしていなかった。 異臭としか表現できない。 込み上げる吐き気を抑え、 私は急いた。 あのような無残な死に方はしたくなかった。 看守の頭を槍で切り裂き、 皮を剥いだ。 その皮を顔に貼り付け、 看守の衣服を奪う。 こんな簡単な偽装はすぐにばれてしまうだろうが、 何もしないよりはマシだろう。 獣の匂いが、 鼻を鋭くくすぐる。 最後に部下に、共に黙礼し、 私は監獄を抜け出した。 生きる。 生き抜いて妻と再会するために、 私は決断した。 恐怖が背を揺らし、 不安が足を慄かせた。 監獄の重い戸が鈍い音を立て、外の世界を招く。 この監獄は城とは少々離れた所にあったようだ。 沈みかけた太陽が忍ぶ私の影を伸ばした。 久々にみた太陽は、 懐かしさよりも悲しみを呼んだ。 その沈みかけた太陽ですら眩しい。 全身が冷たい汗を流す。 槍で半身をささえ歩くことは想像以上に苦痛だった。 いや、投獄されていた時間が長かったせいで、 体力も失っているせいもあるだろう。 幸いにもこの棟の周囲に見張りの兵はいない。 ここがどの場所にあるか知る術は無いが、 私は沈む太陽を頼りに北を目指し急いた。 北に廃棄場があるのだと、あの看守が言っていたのだ。 廃棄場にはおそらく排水場もあるだろうと、 そう踏んだのだ。 この身体でこの城塞から逃げ出すには、 排水場を利用するしかない。 誰にも見つからぬ事を願い、 身体を引きずる。 途中何度も大地に転がる、 もはや体力はあまり残されていない。 城の端まで辿りつくと、 そこには廃棄場があった。 誰にもあわずにここまでこれたのは奇跡に近い、 だが残念な事に、ここには排水場はなかった。 おそらく排水場は別の棟だったのだろう。 いや、それともここは北ではなかったのかもしれない。 もはや方向を正常に判断する力がなかったのだ。 絶望が胸を締め付ける。 陽はくれ、 夜が目を開けていた。 暗闇は獣人達の世界だ。 逃げることは不可能に近いだろう。 私は宛もなく彷徨う。 どこか逃げる場所を、 いや隠れる場所でもいい。 どこか安全な場所へと、私は彷徨う。 ここは調理場だろうか。 あまりにも心地よい肉の香りは、 正直辛かった。 当然そこにも見張りの兵がいる。 やはり酒に溺れ油断はしているが、 さすがにその場を見つからずに通り抜けることは叶わないだろう。 私は焦った。 見つかり捕縛されればまず殺されるだろう。 私はすでに看守を手にかけているのだ。 もう後には引けない。 ――! 後方で何か言い争う声が聞こえた。 まずい、 このままでは見つかってしまう。 私は槍を影に捨て、 近くの木箱に身を潜めた。 これは幸運なことに葡萄の樽だったのだろう。 葡萄の香りが私の匂いを断ち切ってくれるだろうと信じ。 中に身を潜めただ時が経つのを待った。 息を殺し。 恐怖を殺し。 私は隠れ続けた。 口論をしていた声も遠ざかっていった。 やはり汗と血の香りは幸いにも葡萄の強い香りに紛れ、 外にはもれなかったようだ。 安心したのも束の間、 今度は別の何かが近づいてくる音がする。 今度も息を殺し、 身を潜めた。 しかし、今回はそうもいかなかったのだ。 私は焦った。 何者かがこの木箱を持ち上げているのだ。 身体が浮く感覚はいままで体感したこともなく、 緊張が舌を乾かし、 意識せずに呼吸ができなくなった。 これでは木箱から出ることができなくなってしまった。 どこに運ばれているのか分からない。 死への恐怖が膨れ上がる。 人の形を失い朽ちていた部下の亡骸が、 頭を過ぎる。 死ぬのは嫌だった。 木箱が揺れるたびに、 私の心も揺れた。 心の音が何度も悲鳴を上げ、 絶望を叫んだ。 しばらくして、 木箱が大地につく。 どこかに置かれたのだろう。 ここから出て逃げなくては。 けれども周囲の様子が分からない。 いまここを出るのが危険なのかどうか、 判断できない。 私は決意し様子を伺った。 幸い、 誰もいないようだ。 私はゆっくりと木箱から抜け出した。 ここはどうやら誰か偉い人物の寝室のようだ。 獣人は食欲も旺盛だという。 酒のつまみに葡萄を部屋に運び込ませたのだろうか。 真相は分からない、 けれども私の生還が絶望になった事は理解できた。 偉い人物の寝室ということは、 ここは護衛や見張りが厚い場所だろう。 怪我を負い、 片足を失い、また足代わりに使っていた槍もなくしてしまった私には、 もうどうすることも出来なかった。 私は豪華なベッドの下に潜り込み、 時を待つことにした。 この部屋の主が帰り、 夜も更け寝静まった頃に人質にとるしかないだろう。 私は待った。 最後の賭けに勝つために、 この部屋の主を待ち続けた。 疲労で朦朧とした意識の中。 意識が覚醒したのは強烈な血の匂いが鼻を刺したからだ。 私の頭上、 ベッドの上では何者かの断末魔が聞こえる。 肉が落ちる音が床に響き、 人間の女の死体が転がった。 しばし痙攣したその筋肉は、 やがて動かなくなった。 その最後の恐怖をそのままに見開いた女の眼球、 目が合う。 気持ち悪かった。 恐ろしかった。 喉が震える。 私は必死で嗚咽を堪えた。 息を呑むことさえも躊躇った。 この部屋の主を人質にしようなどと図っていたはずなのに、 もはや私の戦意は完全に失われた。 気付かれてはいけない、 それは死を意味しているのだから。 「御気に召しませんでしたでしょうか?」 何者かがベッドの上の主に震えた声で訊ねていた。 「この女、余の陰茎を大きいからと拒否しおった。 余は拒否されるは嫌いなのだ、 だから殺してやった」 「作用でございますか、 ではこの女を片付けますので――」 「いや、置いておけ後で食す」 食す、 たしかにそう言った通り。女の死体を誰かが持ち上げた、 部屋を出て行った事を確認した主が、食事を開始した。 無機質な音が部屋に響く。 私は恐怖に震えた。 獣人の中には人をも食す種族がいると聞いたことがあった、 けれどもそれはあくまで知っているだけにすぎない。 同族が食われる、こうして事実を確認した今、 震えずにいられる者などいないだろう。 肉と骨が剥がれる音。 血を味わう獣の口使い。 恐怖としか形容できない空間。 気が狂いそうだった。 呼吸すらも困難だった。 食事は五分もたたなかった。 床には骨だけを残した塊が投げ出されている。 頭蓋にはさきほど私を睨んでいた眼球も失い、 ただただ空を覗かせる。 女は喰われた。 この部屋の主は人間を食らったのだ。 逃げよう。 この主がいなくなった隙に、 逃げよう。 ただ殺されるだけでなく、 喰われるなど耐えられない。 逃げるしかない。 主がベッドから降り、 女の骨を蹴飛ばした。 骨は獣人の足で砕け、 飛散した。 女の無残な最期だった。 木箱に手を入れ、 獣人がいくつもの葡萄を手に掴み一口で食している。 この獣人は狼種のようだ。 実に美味しそうに葡萄を頬張っている。 その裂けた口から零れているのは葡萄の赤なのか、 それとも女の赤なのか。 私は必死で声を抑えた。 しばらくして、 部屋の主の動きが止まった。 沈黙が部屋に広がる。 一瞬だった。 「何者だ!」 「――ッ!」 獣人が誰何の声と共にベッドをなぎ倒し、 私の居場所は暴かれた。 あっさりと顔に貼り付けていた皮を剥がれ、 私は地面に付した。 「なんだ人間の――雄か」 恐怖が思考を支配する。 本来なら逃げるべきだろう、 けれど頭のどこかがそれを制した。 この獣の前では逃げても無駄なのだ。 「葡萄の異臭がすると思ったら、 ネズミが紛れ込んでいたのだな」 ゆっくりと近づいてくる獣人。 その口からはやはり赤が覗いていた。 何もいえなかった。 ただただ地面に這い、 その獣人の顔を覗き込むことしか出来なかった。 一目だけでも妻にあう。 そのために生きる必要がある。 生きてこの地獄から抜け出さなくてはならない。 けれども心のどこかがこの状況に匙を投げていた。 諦めてしまえば、 恐怖も少しだけ治まった。 獣の王は鋭い顔つきをした獣人だった。 毛の先々まで刃物の様に鋭く、 その瞳の光までも尖って見えた。 獣の眼球は光の角度で宝石のように輝いていた、 エメラルドのようなその瞳。 場違いだが、美しいと、 愚かにもそう感じてしまった。 それほどに強い眼光なのだ。 獣人は私の顔を掴み観察していた。 「たまには雄で遊んでも良いか――」 その鋭い眼光に睨まれ、 私は息を呑んだ。 「湯浴みをしてこい」 一言そう呟き、 獣人は木箱から葡萄を大量に掴みベッドに寝そべった。 言われた意味もわからず、 私は固まったままだ。 「部下に手配させる、 生きたければ余に従うがいい、湯浴みをして来い」 何がなんだか分からなかった。 獣人は人を呼び、 私は浴場に連れて行かれた。 身体を磨かれ、 湯をかけられる。 もはや抵抗もできず、 私は従うことしかできなかった。 生きたかったら余に従え。 その言葉を信じ、 私は大人しくしていた。 あの言葉に嘘はないだろうと、 そう感じたのだ。 再びあの恐ろしい部屋に戻されたとき、 あれだけ大量にあった葡萄はすでに底が見えていた。 獣人が目で部下に指示し、 私はベッドに下ろされた。 「余は拒否されるのが嫌いだ。 どれだけ騒いでも悲鳴を上げても許してやろう、 なれど余を拒否してはならない、絶対にだ」 獣人が私をベッドに這わせた。 尻を掴まれ、 広げられる。 軟膏を溢れんばかりに塗りたくられ、 私は犯された。 悲鳴が部屋の隅まで走る。 この獣人の陰茎はあの看守よりも更に雄々しく、 立派だった。 私の穴は裂け、 痛みと恐怖に身体は痙攣する。 獣の荒い息が、 妙に耳に残る。 獣人は私の肉の味を味わっていた。 どれほどの時間が過ぎただろう。 私は失神と悲鳴を繰り返したが、 決して拒絶をしなかった。 様々な体位で犯される。 今は背後から抱かれ、 臀部を持ち上げられ串刺しにされていた。 夜は長く、 突然の事態に意識がついていかなかった。 背と腰に尋常ではない熱を感じ、 私は悲鳴と共に目を開けた。 「余の印をつけた。 その印がある限り、お前は余の所有物だ。 他のモノに襲われることは無いだろう」 言われた意味は分からなかった。 それにここが何処なのか、 あれよあれよと進む事態にいまだに私の意識は追いつかない。 監獄ではない。 近くには見覚えのない獣人。 夜伽の最中一度も拒絶しなかったのはお前が始めてだ、 余のペットとして飼ってやる、と、 そう昨夜言われた記憶が蘇る。 鏡に映る拘束された私の背と腰には、 この国の印が焼印されていた。 考えなくてはいけないことが多すぎた、 けれど私はまだ生きている。 それだけが分かれば十分だった。 生きてさえいれば希望はあるのだから。 すぐに戻ると言い残し、 昨夜私を犯した獣人が部屋を出て行った。 お付の兵が私に言い聞かせた。 王に逆らうな。 それだけが私に指示された。 あの獣人が獣人王なのだと知ったのはその時だ。 そうか、 あの男が獣人王なのか。 聞いたことがあった、 この国の王は好色で勝利した国から気に入った女を浚い、 慰め物にしあと食らっているのだと。 ただの噂だと思っていたが、 本当だったのだ。 私は震えた。 生き延びた事を感謝するべきか。 最後には喰われる運命に悲観するべきか。 私はやはり急な事態についていけなかった。 用意された布切れを纏うことも忘れ、 私はただ呆然としていた。 いまさらながらに、 私は現状に絶望する。 王のペットになってしまった事は、 あの監獄に囚われていた時よりも逃げる機会がないだろう。 あの女のように、 気まぐれに殺されてしまうのも時間の問題だ。 けれど、 私にはどうすることもできない。 王が、 主が帰ってきた。 その手に枷を用意して。 「余との夜伽はどうであったか?」 正直に答えよと命令され、 私は言葉を詰まらせた。 王は返事を待つ間、 私に枷と装飾を施し始める。 「最悪だった、痛くて怖くて。 吐き気がした」 淡々と、 俯いたままに私は答えた。 嘘はつけなかったのだ。 この鋭い瞳に睨まれ、 嘘をつけるほどの力は私にはなかった。 恐ろしくて、 目が合わせられない。 だが、その言葉に主は満足したようだ。 「お前は頭の良いペットのようだな。 そう、余が欲しているのは偽りの言葉ではない、 それが分からぬ者はみな私の胃に溶けていった」 あの骨になった女を思い出し、 私は再び恐怖に震えた。 余が恐ろしいかと訊ねられ、 私は頷いた。 「そうだな、 お前に希望を与えてやろう。 もしお前が余に喰われることなく三月生き延びたならば、 一つ願いを叶えてやろう」 主は試すように私に話しかけた。 真意は読めない。 けれど私はその望みを口にした。 「妻に、故郷に置いてきた妻に会いたい。 一目だけでも、一瞬だけでも。 出来ることならば故郷に返して欲しい――」 王が哂った。 「良かろう。 三月生き延びたならお前を故郷に返すと約束しようではないか」 どうせ三月も私が生き延びないと確信しているのだろう。 私は耐えるしかなかった。 その希望に最後の望みをかけて。 王は私を組み敷いた。 王の重さに私は震えた。 揺すぶられる体は王の動きに併せ痙攣していた。 今宵何度めの吐精だろう。 王の精液を体内に受け入れ、 私は泣いた。 雄に、獣に種付けされる事実が、 私のプライドを傷つけるのだ。 王は私のプライドや見栄を剥がす事が気にいったようだ。 王のペットとして飼われ始めてから三日たった。 私はまだ生きている。 ペットというより、 まるで性奴隷だと、そう感じた。 王の獣の顔はいまでも恐ろしい。 その精悍な顔つきは種族を超えたカリスマを感じる。 この獣人王は偉大な王なのだろうか。 意外にもこの王が偉大で精悍だからこそ、 まだ私はこの事態に耐えることも出来た。 あの時の狂気より、 人の形をした獣人に犯される方が、 まだ何倍もマシだった。 それに王のペットとして飼われている私には、 監獄の暮らしにはなかった食事や寝具、娯楽が数多くあった。 何より故郷にいたときでさえ食したことのないほどの馳走は、 監獄生活の長かった私にとって最高の施しであった。 王はどうやら私の身体を気に入ったようで、 何度も何度も犯し続ける。 これほど気に入られたのは貴方が始めてだ、と、 お付の使用人が苦笑したのは今朝の事。 たった三日生きただけで、 もはや私は王のお気に入りになってしまったようだ。 それは喜ばしいことなのだろうか、 分からなかった。 背中と腰の焼印はもはやすっかり定着し、 焦げた皮膚も再生し王の証を黒々と記している。 私は王の所有物なのだ。 自由に死ぬことも許されないのだと、 そう言いかされた。 王は本当に食欲旺盛だった。 気が付けばいつも何かを口にしている。 けれどその体躯はしなやかな筋肉を帯びていて、 人間の貴族のように肥えてはいない。 獣人という生き物は本当に戦うために生まれてきたのだろう。 そのしなやかな筋肉の鎧に組み敷かれるとき、 私は逃げ場のない王の檻の中で震えるのだ。 王は丸ごとの羊を骨まで平らげると、 私をベッドへと呼びつけた。 逆らうことのできない私はベッドに近づき、 王に侍る。 雄に侍るこの瞬間は、 いまでも慣れなかった。 王は私を抱き寄せ、 私に訊ねる。 意地の悪い質問だった。 思い出したくも無い幸せな過去を、 王は私に語らせる。 何もない日常、 妻との夜。 誓いを交わした友人との出来事。 可愛がっていた部下。 嫌いだった上司。 口に出せば出すほどに、 私は嗚咽を漏らす。 もはや二度と戻れない楽しい過去、辛い過去。 泣く私に王は満足そうに哂った。 王はどうしようもない事実を嘆く私の姿を、 愉しんでいるのだ。 さんざんに私の心を揺さぶった後に、 王は私を優しく犯した。 まるで大事にされているかと錯覚してしまうような愛撫。 獣の快感の息遣い。 私の苦痛の息。 王は私に性の快感を教え込まそうとしているようだ。 けれども限界まで穴を広げられる痛みに、 私が快感を感じることはない。 ただ痛く、 気持ち悪い。 王に訊ねられ私は正直に口を漏らした。 王はならばと、様々な角度で私を貫くが、 私が感じることは一度もなかった。 「余はな、偽りを漏らす事のないお前のその口に、 快感の喘ぎを鳴かせてみたいのだ」 行為が終わった後の、 私にとって気まずい時間。 王は私に向かい悔しそうに囁いた。 鍛え抜かれた強靭な腕は、 まるで檻の様にさえ感じた。 身体を包む白いシーツを足が擦る。 互いの呼吸が分かる距離は、 いまだ慣れない。 まして、 この男は敵国の王なのだ。 「私は男だ、雄なのだ。 雄の貴方に犯されて喘ぐことなど……」 「だからこそ鳴かせてみたいのではないか」 王は心底楽しそうに言った。 「余はお前が苦しむ顔が好きだ、 余に犯され快感に喘ぐお前はさぞ苦しみ泣くのであろうな」 楽しみだ、と。 王は哂った。 私に外出の自由が許されるようになったのは、 五日経った日の明朝。 私は許可を得て、 人間達、仲間達が収容されている監獄に訪れた。 松葉杖と呼ばれる木の支えを足の代わりに、 私は急いた。 懐かしい、思い出したくもないカビの匂い。 朽ちた床。 こんな所を再び訪れたのは故がある。 王から許しを得て、 食料を手に持ち、 私はまだ生きている仲間にせめて食事を与えてやろうと想ったのだ。 錆びた戸は、 やはり重く、底知れぬ地獄への道を招く。 新しい看守は私に敬礼した。 王は言っていた。 その背中の印と、 余の穿った王者の匂いがあれば、 何人もお前に手を出せないだろうと。 その言葉通りだった。 あれほど私を虐待していた獣人達はみな、 私に向かい敬礼している。 それほどに、 あの王は絶対なのだろう。 複雑な気分だった。 私から足を奪った彼らが、 いま私に敬礼しているのだから。 私は必死に探す、 生きている仲間を探し続けた。 けれど、生存者など、 いないのかもしれない。 みな嬲り殺されたのだろうか。 あれから大分時間が経っている、 牢の中はただ空になっているか、 人とも形容できぬ塊になっているか。 どちらにせよ、 もはやここにはいなかったのだ。 私は絶望した。 諦めて帰ろうと、 最後の檻を覗く。 暗く、良く見えないがたしかに何かが動いた。 人だ。 そしてその顔には見覚えがあった。 私は生きている仲間を見つけ悦び声をかけた。 部下の一人だ。 初め私の存在に気が付かず、 怯えていたが、私だと分かると部下は声を上げた。 「隊長、ご無事だったのですか!」 「ああ、生きてはいる。 五体満足ではないがな」 「隊長が脱獄したと聞いて、 てっきり殺されたものだとばかり」 人としては死んだも同然かもしれないが、と。 私は苦笑した。 「他のものはどうした?」 その問いに、 部下は力なく首を横に振った。 そうか、 やはり皆、すでにいなくなってしまったのか。 生きてここを出たか、 死んで放り出されたか。 聞かぬ方が、幸せだろう。 「これを食べろ。 大丈夫許可はとってある、今は生きろ。 一秒でも長く生きるんだ」 「隊長は、 一体隊長はいまどうされているのです?」 私は黙って背を見せた。 はっきりと記された王の刻印。 それが何を意味するか、 部下は理解したのだろう。 「何も言うな、 何も言われたくない――」 分かりましたと、部下は敬礼した。 ボロボロになった部下の衣服から、 国章が淡く輝いた。 私の国の敬礼だ。 この国の敬礼とは違う。 ああ、やはりこの部下の敬礼は少し右に傾いていた。 前も教えてやったのに、 この部下はまるで覚えようとしない。 あいかわらず覚えの悪い部下だった。 変わらぬその敬礼に、 私の心は複雑に揺らいだ。 望郷の念が、 いっそう強くなったのだ。 私も部下に敬礼し、 この監獄を離れた。 私は愚かだった。 理解していなかったのだ、 王が何故私に外出の許可を与えたのかを。 理解していなかったのだ。 いつものように湯浴みを済ませ、 王の部屋に戻る。 王の寝具で身体を寛がせる王が、 私を見つめた。 意味ありげに、 見つめていたのだ。 その王の様子に私は疑問をもった。 何だというのだろう、 まるで私を試すように、子どもが悪戯を企む様に、 王は私を見つめていたのだ。 王はいつものように間食をしていた。 違和感は初めからあった。 王が食していたのは、 大きな肉塊だった。 原型を留めぬ肉塊、折れた骨。 肉の筋。 そしてその横に落ちる、 ボロボロな服と国章。 王が哂った。 私の表情を愉しむように、 哂っていた。 全てを理解したとき、 私は絶叫した。 「よくもぉ――、私の部下を!」 怒りの前には恐怖は消え、 私は衝動とともに王に殴りかかった。 王は私の拳を避けようともせずに、 泣き叫ぶ私の顔を観察していた。 とても幸せそうに、 哂っていた。 「そうだその顔が見たかった。 お前の苦しむ顔は余の欲情を実にそそる」 「ゥガァァァァァ!」 何度目かの殴打の後、 王は静かに動いた。 絶叫は、 シーツの中に吸収されてしまった。 王は私の腕を絞め上げ地に押さえつけ、 力強く噛み付いたのだ。 私の腕は王に噛まれ、 力なく痙攣している。 赤が、 シーツを汚す。 「お前は怒りで余に狼藉を働いたが、 拒絶したわけではない。 約束どおり命は奪いはしない」 私は呆然としていた。 世界が狂ってしまったように、 私も狂ってしまったのか。 涙は乾き、 掠れた笑いが喉を伝った。 呆然と天を見つめる私をよそに、 王が食事を再開した。 私は耳を塞いだ。 嫌でもあの音は聞こえる。 仲間が部下が、 喰われる音などききたくなかった。 お前も食べてみるかと聞かれ、 私はシーツの中へと身を隠した。 食事を終えた王が私を組み敷いた。 初めて嫌だと思った。 けれど私は拒絶することなどできない。 妻に会う、 一目だけでもいい。 その願いを叶えるために、 私はこの狂気に耐えた。 再び潤った瞳が、 止め処なく粒を吐き出す。 あの部下との思い出が、 私の心を殺そうと何度も襲い掛かってくる。 悲しみに泣きくれる私を美しいと言い、 王は私の中で馳せた。 乾かぬ涙を保ち続ける私に、 王は言った。 もしお前が妻への思いを断つことができるのならば、 あの部下を蘇らせてやろう、と。 そんな馬鹿な話、あるはずがない。 死者を蘇らせることなどできないのだから。 私は滑稽なその問いに、頷いた。 蘇らせれるものなら蘇らせてみろ、と。 そう皮肉を込めて、私は再度頷いた。 王は哂った。 約束だぞ、と。 意味ありげに哂い。 強く私を抱きしめた。 痛いほどに抱きしめられ、 私の涙は止まってしまった。 次の日。 私は呆然とした。 王が部下を蘇らせたというのだ。 王の間の窓から、 外の景色を覗く。 そこにはなんと本当に昨日喰われたはずの部下がそこにいた。 まず初めに我が目を疑い、 そして頭を疑った。 もしや狂ってしまい幻想でもみているのではないかと。 私は真意をたしかめるために走った。 片足では上手く走れないが、 何度も何度も杖を突き。 外に出てみると、 やはりそこにはあの部下がいた。 「隊長!ありがとうございます!」 満面の笑顔で私に礼を言う部下。 喰われたはずの部下が生きている。 まさかいくら王でも死者を蘇らせることなど、 できるはずがない。 何がなんだかわからなかった。 「隊長が王に願ってくれたおかげで、 私は故郷に帰れるのです!父に母さんに、妹に!」 喜び勇んでいる部下。 事態がわからず困惑する私の背後から、 恐ろしい気配が生まれた。 王だ。 「……――。」 静かに、 心が頷いた。 ああ、そうか。 私は王の手のひらで踊っていたのだ。 初めから、 王は部下を喰ったわけではなかったのだ。 昨日の肉塊はもっと他の生き物だったのだろう。 王はただあの部下の衣服を置いただけであり、 私が勘違いしていたのだ。 勘違いさせられていたのだ。 あれはこういう意味なのだろう。 もし私が妻への思いを絶たなければ、 昨日の狂気がすぐにでも現実になるのだと。 王はおそらく、私が望郷を捨てぬのならば、 私の目の前で容赦なく部下を襲い喰らうだろう。 故郷に思いを馳せ、 地獄のようなこの城から抜け出せる悦びを味わう部下を、 喰らうのだろう。 選べと言うのだ。 故郷への思慕を捨てるか、 それともこの部下の命を見捨てるかを。 三月生き延びたら逃してくれると誓っていた王、 けれど今は望郷を捨てろと言う。 それがどういう意味なのか、 なぜか私はすぐに理解した。 「妻に、 故郷に帰ったら妻に私は死んだと伝えてくれ」 言われた意味が分からないといった顔で、 部下は口を惚けていた。 「何故です?隊長だってそのうちにここから――ッ」 部下が息を呑んだのは、 私の涙を見たせいだろう。 「私は戻らぬ」 思えば部下の前で泣いたことなど、 いや感情を動かしたことなどほとんどなかった。 私はもう王から逃げられない。 そう確信していた。 「もう、戻れないんだ」 あの頃にはもう、と。 私は泣きながら呟いた。 何故だろうか。 王に寵愛されてしまったのだという、 恐ろしい確信があった。 私は王に気に入られすぎたのだ。 帰るぞ、と。 私の王が私を呼んだ。 部下に別れも告げずに背を向け、 私は王に続く。 支配者の広い背中を見つめ、 私は歩いた。 後ろを振り向かず。 歩いた。 「気が付いたようだな、 そうだ余はお前を気に入った。 これほどに同じ生き物を抱き続けたことは初めてなのだ」 私はやはり何もいえなかった。 涙は止まらない。 目の前に用意された馳走の数々。 宝石、装飾具、宝剣。 望みもしない貢物。 ますます重くなった枷。 「余はお前の全てが欲しくなった、 いっそその甘い肉を喰らってしまいたいほどに」 昨夜噛まれた傷跡を、 王が舐めた。 王の舌で傷口は開き、 濃厚な赤が私の腕を伝う。 美味しそうに、 王は味わっていた。 「残念だ。お前を抱く快楽と、 お前を食したい願望と。 余はどちら一つしか選べぬのだからな」 名残惜しそうに私の腕から離れ、 王は私を抱き寄せた。 その体温は温かく、 心地よかった。 妙な安心感があった。 もはや逃げられないのなら、 この腕の中が一番私の安らげる場所なのだと、 本能が気が付いてしまったのだ。 「いつかお前が私を拒絶した時。 その時はお前を味わってやろう、 骨の髄までしゃぶり髪の先さえも残しはしない」 楽しみだ、と。 王は再び哂った。 それはまるで愛の告白の様にさえ思えた。 けれど愛という概念がない獣人に、 そんな感情は存在しない。 私は妻を愛していた。 妻に、 会いたかった。 揺すぶられる身体に火が灯ったのは、 その夜の事。 きっかけはなんだったのか分からない。 ただ奥を突かれるたびに、 腹を穿たれるたびに。 私の喉からは快楽の声が漏れた。 王の大きさに慣れた穴は濡れ、 その肉棒を貪欲に咥え込んでいる。 これは紛れもない快楽だった。 あまりにも立派なその雄に腹の壁を擦られるたびに、 私の肉芽も力を持ち始める。 私は王に犯され感じているのだ。 そう一度自覚してしまうと、 もう快楽は止まらない。 身体を強靭な力で屈服させられ、 雄の証をもって支配される私。 まるで王の雌になった気分だ。 もはや逃げられぬ運命ならば、 いっそ壊れるほどに犯して欲しかった。 妻を、故郷を、過去を、 全てを忘れてしまえるほどに、 犯して欲しかった。 私は鳴いた。 鳴き続けた。 与えられる快楽に応え鳴き続けた。 背後から抱かれ臀部を掴まれ、身体ごと持ち上げられ、 王の印に穿たれる。 その尋常ではない王の大きさで最奥まで犯され、 私の肉芽は弾け白濁を飛ばした。 純白のシーツをさらに白く汚す音。 長い長い射精が断続的な音を立て、 シーツを汚し続ける。 「初めて達したな。 どうだ?余の雌になった気分は」 シーツを白濁で汚し続ける私に、 王は喜びながら囁いた。 これはもはやセックスだ。 いままでの一方的な奉仕とは違い、 いまの私は肉の快楽に溺れている。 王の雌になったことを喜んでいる。 壊れてしまう。 世界が、 いままでの過去が全て。 何もかも忘れ、 私は雌になった。 王に犯され鳴き続ける私に、 王も普段以上に興奮していた。 夜は長く、 蕩けるように熱い。 もはや見栄もプライドも希望も、 全てが亡くなった。 奪われてしまった。 私は王の腕の中で、 安らぎを得ていた。 王は雌になりはてた私を、 前以上に大事に扱ってくれるようになった。 私には爵位までもが与えられた。 私の人生で一番の出世だろう。 皮肉だった。 王の膝に頭を預け、 私はただ呆然と支配者の顔を見つめていた。 銀色の輝き。 エメラルドの輝き。 私の支配者。 最近、 王の細やかな表情さえも読み取れるようになった。 種族の違う彼らの表情など、 わかるはずないと思っていた。 けれども今の私には手にとるように分かった、 王の悦びが快感が慈しみが。 王の膝の中はこの城で一番安らげる場所だろう。 それを独占できる私は、 とても幸せなのだろうと、 そう感じてしまっている。 もう何も考えたくなかった。 時間さえも忘れ、 暦も意味を成さなかった。 あれから幾日たっただろう。 「余は不思議に思うのだ」 ある日、王は私に問いかけた。 「子も孕めぬ雄のお前を、 これほどの期間囲っている故を」 私の髪を撫でながら、 王は囁く。 王の問答を、 私は静かな心で聞いていた、 子守唄の様に、 心地よい声だ。 私を抱き、私を囲い、私を支配する私の王。 私から全てを奪った王。 王の腕の中はやはり落ち着く。 けれど、 やはりいまだ頭の隅に残る過去が、 私の心を擽った。 自然と、 私の瞳からは滴が零れた。 妻はどうしているだろうか。 生きているのだろうか、 ちゃんと食事をできているだろうか。 一人で寂しくしていないだろうか。 私は――、 寂しかった。 妻を愛していた。 誰よりも愛していた。 二度と会えぬ愛した妻。 私に愛の意味を教えてくれた妻。 「この感情を余は知らぬ。 お前を眺めていると心が和み、そして震える。 離したくない、決して離したくないのだ。 余は知りたい、この感情の意味を」 獣人には分からないだろうこの感情は。 私の感情は。 妻を愛したこの尊い心は、 分かるはずない。 「近頃、目を閉じるたびにお前の顔が浮かぶのだ。 お前はいつも泣いているが、 笑顔になったらどのような顔なのか。 余はそれが知りたい」 だから泣くなと優しく言われ、 私は泣いた。 ますます泣いた。 王は泣き続ける私をあやす様に抱き寄せた。 心地よかった。 抱擁に心は落ち着いた。 王の優しさが、 痛かった。 日々は時間を忘れていても過ぎていく。 今日は王の聖誕祭。 王は昨夜から式の準備に追われ、 いつもよりも忙しそうだった。 私は少し暇を持て余し、 場内を歩いた。 あの部屋は心地よすぎて、 心が溶けて消えてしまいそうになるからだ。 私は生きている。 妻に会うために、 生きていた。 けれど。 もう、 二度と会うことはないだろう。 城には各国の来賓が訪れていて、 場内はいつもの何倍も活気だっている。 爵位を与えられている私は、 着慣れぬ貴族の服に違和感を感じていた。 やはり外は居心地が悪かった。 帰ろうかと、 会場を後にしようとした私だが、 見知った顔を見つけ思わず目を疑った。 滅びたはずの私の国の将軍だったのだ。 我知らず足が動き、 私は駆けた。 将軍は私の姿を見、 息を呑み敬礼した。 もはやその敬礼は祖国のソレではなく、 この国の敬礼になっていた。 「将軍殿、何故貴方がここにいるのでしょうか?」 それはこちらの台詞だ、 と将軍は今も私を不思議そうに見つめている。 獄中で死んだものと伝えられた、と。 将軍は呟いた。 ここでは話もできぬだろうと、 私は将軍をテラスに誘う。 衛兵が私達の前に憚る。 人間の私達が自由に動くことを制しようとしているのだろう。 人間ならば反乱の意もあるだろうと警戒するのは当然だ。 けれど私の服に刺繍された王の証と、 爵位の勲章に、 慌てて衛兵は敬礼した。 王から与えられた爵位は、 きちんと意味を成していたのだ。 ここならば獣人に気兼ねなく話も出来るだろう。 聞きたいことは山ほどあった。 将軍は語った。 この宴に現れた意味を。 私の国はもはやこの国の植民地となったのだ、と。 王家はどうなったかと訊ねると、 将軍は言葉を濁らせた。 聞かないほうが良い、と、 将軍は唇を噛んでいた。 無残に殺されていった仲間や、 私がされてきた仕打ちを思い出せば、 結果は似たような者だったのだろう。 けれどこれは獣人国家だからではない、 国とはそういうものなのだ。 我が国も、 他国を滅ぼしたときは似たようなことをしていた、と。 そう将軍は皮肉を込めて自嘲した。 そしてさらに皮肉を続ける将軍。 独裁国家だった私の国は、 暴君を失い、植民地としてこの国に支配されることにより、 市民は自由を手に入れ、自由に商売ができることにより、 国民は富と平和を手に入れ喜んでいるのだ、と。 将軍も複雑なのだろう。 それは事実なのだろう。 あの王は偉大であったが、 独善的だった。 国民よりも軍を大切にしていた。 植民地に軍はいらぬ、 ならば発展するのは商工だ。 商工は国民を豊かにさせるのだろう、 そして豊かになれば国民は歓喜する。 もはや国民の心は、 この国の支配を受け入れてしまったのだろうと、 そう私は感じた。 そして将軍は国の代表として王を祝いにきたのだ、と、 そう語った。 祖国はもう過去を捨て、 新しく進もうとしている、 だから将軍は新しく生まれ変わる国を支えていくつもりらしい。 私は、 悲しいのだろうか。 悔しいのだろうか。 やはりよく分からなかった。 国民が幸せになろうとしているのならば、 その方がよかったのだろう。 けれど心のどこかがこの皮肉を、 哂った。 国が滅ぼされて国民が喜んだのなら、 私達は何のために戦い、何のために死んでいったのだろう。 分からなかった。 悩む私に、 逆に将軍が訊ねてきた。 何故死んだはずの私がここにいるのか、 何故爵位をもってここにいるのか。 私は故を語った。 隠す必要もないだろう、と。 王に囲われ、 王の雌になっているのだと。 将軍は私の話を聞き、 涙を堪えていた。 そして敬礼を、 祖国の敬礼を私にする。 敬礼の意味がわからず頭を悩ませていると、 将軍は敬語で語りはじめた。 植民地として支配された祖国、 はじめは獣人が暴れていたこと。 その待遇が突然よくなったこと。 聞けば王から勅命が降りたのだ、と、 その理由が私だったのだろう、と、 将軍は敬礼を崩さず語る。 たしかに王は言っていた、 私が拒絶しなければ祖国さえも救ってやると、 そう語っていた。 睦言の中、 そう語っていた時があった。 あの時は夜の最中の戯れだと思い、 記憶の端にも残していなかったが、 王はその約束を果たしていたのだ。 将軍の敬礼が、 私に重く刺さった。 つまり、 私が逃げたら祖国は再び滅びの道を歩むのだ。 暴君がいなくなり、 発展していく祖国。 幸福に向かっていく国民。 重い、 重い過ぎる枷だった。 何も知らぬ将軍は、 何度も私に感謝を述べる。 私はその度に感謝の重さに絶望した。 もう、 逃げる道など残されていないのかもしれない。 最後に、 私は妻について質問した。 何か知っていることはないか、と。 生きているのか、 死んでいるのか。 どうしているのか。 私は訊ねた。 将軍は、言葉を選んでいるようだった。 そして、 私にとって残酷な事実を告げた。 私は急いた。 どうやって城を抜け出したか、 どうやってここまで歩いたか。 よく思い出せない。 それほど夢中に、 私は駆けたのだ。 何日過ぎただろう、 身体はすでに限界を迎えていた。 身体を支える木々を何度も動かし、 早く、早く。 妻に会いたかった。 将軍が言った言葉が偽りだと、 確かめたかった。 そして――、 懐かしい景色が私の目の前に広がる。 将軍が語ったように、 この国は前よりも発展していた。 国民は活気付き、笑っている。 獣人とも談笑をし、 戦争があったことなど忘れているかのような平和。 本当に国民は、 幸福を手に入れていたのだ。 将軍が言ったことは間違っていなかったのだ。 私の心に、 一筋の風が吹いた。 皮肉だった。 いままで私達兵士が軍が頑張れば頑張るほどに、 国民は不幸になっていたのだろう、と。 まるで裏切られた気分だった。 国に、 裏切られた気分だったのだ。 失意の中、 私は再び急いた。 妻に会うため、 私は駆けたのだ。 そこにいたのは平和そうに暮らしている妻。 笑っている妻。 幸せそうな妻。 傍らには男の子と女の子、 見知らぬ男。 私ではない男。 私は呆然とした。 言葉はでなかった。 だが私の頭は事実をすぐに理解した。 やはり将軍が言っていたことは真実だったのだ。 妻は再婚していたのだ、 過去を捨て、この国の様に新しい道を歩んでいたのだ。 それもそうだ、 私は部下に私が死んだと伝えさせた。 妻を咎める事はできない。 愛する妻を、 恨むことなど出来なかった。 しばらく、 その幸せを眺めていた。 それがどれほどに虚しい事か分かっていた、 けれど私は――。 帰ろう。 いまこの温かい家族の中で、私は部外者なのだ。 まるで待っていたかのように、 背後から気配が生まれる。 王だった。 私の王だった。 いつから尾行していたのだろう、 分からなかった。 けれど初めから付けて来ていたのだろうと、 そう思った。 帰って来い、 そう呼ばれ私は頷いた。 王は私を咎めなかった。 泣き続ける私の肩を抱き、 王は歩く。 私を気遣うように、 歩みを細め。 王も歩いていた。 通りに出ると見慣れぬ馬車が待っていた。 私を抱き上げ、 馬車に運ぶ王。 馬車はゆったりと歩み始めた。 私の帰るべき場所へと歩み始めた。 私にはもう、 王の側にしか居場所はないのだ。 今は何も考えたくなかった。 王に身体を預けると、 やはり王は私を優しく抱きとめてくれた。 温かくて、 心地よくて、 涙はますます零れた。 ただその王の抱擁に身を任せ、 私は泣き続けた。 その夜、 私は始めて王に逆らい拒絶した。 そうすれば、 楽になれると思ったのだ。 はじめ王は言った。 拒絶されるのが嫌いなのだと。 拒絶したら最後、 私の命は無いのだと。 希望があったいままではその希望だけを望み受け入れてきた。 けれど今の私にはもう、 生きる意味がなかったのだ。 生きる意味が分からなくなってしまったのだ。 私は静かに死を待った。 いままで何度も見てきた、 王を拒絶し王に逆らい命を失ったものを。 最後には喰われ、 王の腹の中に消えてしまう。 私も、 王の腹の中に消えよう。 あの腕の中がとても心地よかったように、 王の腹の中はとても心落ち着く場所なのだろうと、 思いを馳せた。 王も楽しみにしていたはずだ、 私の血の味を、肉の味を。 王はどちらでも良いと言っていた、 私を抱く快楽と、食したい願望は同価値なのだと。 王が喜びながら私を食すなら、 それも悪くないと思ったのだ。 けれども、 私の死はいつまでも訪れなかった。 目を開けると、 王の顔が間近に迫っていた。 そして唇を吸われる。 「今日だけだ、今日だけは許してやる」 これは接吻だろうか。 獣人との接吻など聞いたことが無かった。 不思議に思っていると、 王は口を開いた。 王は人間から聞き、 学んだのだと苦笑した。 こうすれば雌が喜ぶのだと、 そう人間の文献にも書いてあったと。 王は頬を緩ませそう語った。 獣人が人のように接吻をすることなど簡単にできることではない。 おそらく、 何度も何度も一人で練習したのではないだろうか。 私のために。 王は再び私に接吻しようとした。 私は拒絶した。 再び、 王を拒絶したのだ。 けれどやはり、 死は訪れなかった。 「何故私を殺さない? 私は貴方を拒絶した、それなのに――」 王は何も言わずに私を抱き寄せた。 私もただ黙って泣き濡れた。 「なぜ私を殺してくれないのです、 もう私に生きる理由などない」 しばらくして、 私は吠えた。 それが、 弱い私の本音だった。 「――生きる理由など。 後で考えれば良いではないか」 強い王が弱い口調で囁いた。 「主に逆らうお前を、殺せぬ故を考えぬ余のように、 故など、後で考えれば良いではないか」 そう、 自身にも言い聞かせるように王は呟いた。 王の顔はやはり鋭く王者の貫禄に溢れている。 けれどその顔は憂いに満ちていた。 王も悩んでいるのだろうか、 獣人には理解できぬ感情に。 分からなかったが、その表情は、 目が奪われるほどに綺麗だった。 今度の接吻は、 拒絶できなかった。 その王の慈しみは甘く、 私は身を任せた。 太陽は目を開けぬ、 考える時間はたっぷりあると、 王は苦笑した。 私を抱き寄せる王の腕は温かく、 心地よかった。 王の腕に手を沿え、 その力強さをなぞる。 強靭な腕、 獣人の腕。 私を甘く捕らえる檻。 太陽はそろそろ眼を開く。 その温かい腕の中で、 私は生きる理由を考えた。 王はいつまでも私を見つめていた。 【終】 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